とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

<とまり木前夜>修作編⑪〜伝える、聞く、書く。


ということで、いわきに住むということが決まったのは前の投稿で書いた。その後の顛末は次回に譲るとして、今回はこの騒動の中で考えたことを書こうと思う。<とまり木前夜>は、とまり木を作るまでに必要だったことを書いていくつもりだからだ。

「ノージョブ・ノーハウス騒動」の中で、私たちは幾度となくケンカをした。話す言葉に神経をすり減らし、その一方で些細なことで爆発した。基本的にいまもそれは変わらない。そもそも、ふたりとも我が強すぎるのである。それでも「ノージョブ・ノーハウス騒動」よりも、私たちは危機的状況に陥っていない。(と、私は思っている)

それは、そのときに、「どんなに近しい人であっても、伝えない限りはわからない」という大原則を学んだからだ。私たちには、比喩的な意味でも、そうでなくても、同じ目的地があった。そうなのだけれど、そこに行くまでには数えきれないほどの行き方があって、それぞれの進むペースも違う。それは話さないとわからないし、一歩一歩、お互いに確かめるしか方法はないのだ。

もう一つは「徹底的に聞く」ということだ。これも同じである。どんなに近しい人でも、何を考えているか、自分とどこが違うのか、聞かない限りはわからない。これはこの騒動というよりも、杉並区でワールドカフェの手法を用いて、聞き合いの場づくりを実践している「一般社団法人ISP」から学んだと思う。聴き合うことが大切なのは、何も国際紛争の解決の場とか、あるいは○○プロジェクトチームだけではない。夫婦生活だって、友人同士だって、同僚だって、聞くことは話すことよりも大切かもしれない。

とはいえ、じゃあこの後夫婦仲がよくなったかといえば、相変わらず言い合いしているのは変わらない。だけど、「きちんと伝える/徹底的に聞く」ことはが大切だという共通認識を持てたことは大きいと思う。「言ったつもりはなし」「相手が『聞いてない』と言ったら自分も反省すべし」という暗黙のルールがある。

何かを始めるとき、きちんと時間をとって紙に書いて話し合うことにしたのもこの頃からだ。私たちは阿吽の呼吸とか、以心伝心とか、そういうものからはほど遠い夫婦である。ちなみに写真はこのときに書いていたノートに貼っていた付箋。いつも使うのはツバメノート

そんな感じで、次回はいわきで家さがし編をお送りします。

▶︎▶︎いままでの<とまり木前夜>はこちらで読めます。

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