とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

<とまり木前夜>修作編③


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西日本に住処を探し始めると同時に、次はどんなことをしようか考え始めた。仕事、というよりはどういうふうに生きていくのかということである。振り返ってみると、ほとんど家には寝に帰っているようなものだから、150%仕事だけの日々だった。仕事が楽しかったときはそれでよかったけれど、いざ辞めることを考えだすと、そうではないなと思うようになった。

「向いていない」ということを別にして考えれば、記者業は好きだった。しかし、新聞やテレビだけでは社会は変わらない。一見、記者は世の中に関わっているように見えるけれども、傍観者としての側面がないわけではない。例えば、そこに困っている人がいるから取材をするけれども、困っている人そのものに手を差し伸べることは稀だ。それがもどかしく感じることもある。もどかしいだけではなく、不義理に思うときもある。

記者としてものを書きながら、それとは別な地域や社会に関わる活動をする。記者というのは、私の一面であって、それとは別の一面があってもいい。というか、いろんな一面があっていい。仕事だけが私のパーソナリティではないのだ。

もの書きも地域や社会に関わる活動も、いずれもお金にはなりそうにないけれど、それはそれでいい。仕事はまた別にやればいいことで、そうしたら私の一面がまた増える。仕事によっては、技術も身に付く。完全にぼんやりとだが、そんなふうに次のライフスタイルを模索していた。

さて、私はやっぱり東北が気になっていた。会社には毎朝、主要な新聞が全て届く。目を皿のようにして紙面を読んでも、どんどん被災地の報道は減っていった。「いま、東北はどうなっているのだろう」行きたいという思いは消えることはなかった。むしろ少し大きくなったかもしれない。たまに、詳細なルポなどが載ると、コピーしてスクラップしたりした。スクラップは結局、辞めるまでの間に2冊になった。思いは募る一方だったのだ。

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