とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

沖縄の日

2020/06/29


数年前に、当時から付き合っていた今の夫と一度だけ訪れたことのある沖縄。
本島と、石垣島と、竹富島を巡り、空気や日差し、土地や人々の雰囲気に、日本語が通じる異国の地に来たような、不思議な感覚になったことを覚えている。

その時に糸満の平和祈念公園にも足を運んだ。二人とも車の運転が出来なかったから、路線バスとタクシーで向かった。

タクシーのおじちゃんは会話の流れから、祈念公園に向かう途中、ガマに立ち寄ってくれた。畑が広がる場所にぽっかりと穴があって、下に向かって空洞が広がっていた。空洞から立ち昇ってくる、なんて表現したらいいんだろう、湿気を含んだ、重い感じのする空気。ここに、いつ終わるか分からない、いつか見つかってしまうかもしれない恐怖を四六時中感じながら、身を潜めていた人々がいたということが信じられなかったし、正直信じたくなかった。ガマは、人が過ごす場所というにはあまりにも過酷な環境だった。

おじちゃんは、住民が集団自決をした喜屋武岬にも連れて行ってくれた。どこまでも広がる海と、断崖に打ち付ける波しぶきが印象的で、ここから身を投げた人々がいたという事実に、また打ちのめられそうになった。

その後、平和祈念公園へ。そこは本当に美しい場所だった。初めて見る「平和の礎」は圧倒的で、とても美しく配列されている礎に、一人ひとりの名前が、市町村や字ごとに刻まれていた。「〇〇の長男」など、名前ではなく続柄の方もいた。アメリカや韓国など、外国籍の方の名前が記されていることも、恥ずかしながらこの時に初めて知った。
沖縄県のHPによると、ここに刻まれている人数は、令和2年6月現在で、241,593人。ここに含まれている一人ひとりの人生は、沖縄戦で尽く奪われてしまった。

今日は沖縄慰霊の日。戦闘が繰り広げられた日々から75年が経つそうだ。
ちょっと話がずれるかもしれないけれど、私は今年31歳になった。私が生まれたのは、太平洋戦争から44年後。そこから年を重ね、31年が経った。うまく言えないのだけれど、0歳だった私が、31歳の今まで時を重ねてきたように、戦争からの日々だって、同じように時が重なっているのだと思う。
75年と聞くと、なんて昔の出来事なんだろうと感じるかもしれないけれど、そんなことはなくて、確実に今に繋がっている。

当時を生き延びた方々の声と、生き延びることが出来なかった方々の思いを、ちゃんと心の中に入れておきたい。この先も忘れずにいたい。それらを保ち続けながら、今を生きている人たちの声も知っていきたい。

コロナによって大きな移動を伴う旅行が憚られる日々で、次に沖縄に行けるのはいつになるかまだ分からないけれど、また必ず行きたいと思っている。今度は息子を連れて。

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