とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

交差すること

2020/06/29


5年前の4月初旬に放課後等デイサービスで2週間ほどボランティアをしていた。
東京での仕事を辞めた後で、自由に過ごせる時間ができた私は、その少し前から興味のあった福祉の現場をみてみたくなったのだ。

住んでいた自治体のボランティア説明会に参加して、そこで紹介されたのが「放課後等デイサービス」だった。

放課後等デイサービスとは、障害のある就学児童(小学生・中学生・高校生)が学校の授業終了後や長期休暇中に通うことのできる施設です。
放課後等デイサービスは、児童福祉法に位置づけられた通所型の福祉サービスで、療育手帳や障害者手帳がなくても、専門家などの意見書などを提出し、必要が認められれば通うことができます。
放課後等デイサービスでは、生活力向上のためのさまざまなプログラムが行われています。専門的な療育を受けることができる施設もあれば、トランポリン、楽器の演奏、パソコン教室、社会科見学、造形など習い事に近い活動を行っている施設もあります。
りたりこ発達ナビより引用 https://h-navi.jp/support_facility/guides/hoday

ボランティア初日、少し戸惑いながらも街角のビルの一階に足を運んでみると、数名の子どもたちと、スタッフが賑やかに過ごしていた。
室内全体に明るい雰囲気が漂っていて、そして人手は明らかに足りていない様子。自己紹介もそこそこに、超初心者の私もいちスタッフとして早速カウントされ、子どもたちの間に入るように促された。

「障がい者」と一言で表されるその子たちは、本当に個性豊かだった。個性という言葉が適切かどうか、分からないけれど。

実際に障がいをもつ子どもたちと接するのはこれが初めてだったから、何をしたらいいのか判断がつかない。でも彼らは自分のやっていることに夢中で、私がいてもいなくても変わらない様子だったので、とりあえず見守ることにしてみた。

ずっと絵を描いている子、DVDプレーヤーの開閉ボタンを何度も開け閉めしている子、ビデオを観ながらテンション高めに踊っている子、何もせずにじっと座っている子もいた。
それぞれが部屋の中に自分の居心地の良いスペースを持っているようで、自分がやりたいことをやって時間を過ごしていた。

こういう時間や、空間、世界があることの実感が、そのとき初めて湧いた。
ボランティア活動はたった数時間だったけれど、私の中の視点がひとつ増えた気がした。

別な日は、春休みだったこともあり、みんなでお昼ご飯に餃子を作った。
エプロンと三角巾をつけて、野菜を刻んで、タネをこねて、皮で包んでいく。
興味のあること、できることがいろいろだから、スタッフは一人ひとりをしっかりみて、ゆっくり教えたり、全部任せたりしている。
張り切っている真剣な表情が頼もしい。
無事にたくさんの餃子が焼き上がって、円になって食べた。みんなで作って食べるのは美味しいなと当たり前のことを思った。

またある日、送迎車に乗って近くの公園に遊びに行った。私が担当した男の子は、興奮すると走り出してしまう特性がある子で、ずっと手を繋いでいた。
熱くてちょっと湿ったその手は、すごい力で握り返してくる。
少し先に噴水を見つけて、彼は私の手を振り解こうとした。まずい、と思ってなんとか止めて、ふと繋いでいた自分の手をみたら、爪で引っ掻かれて傷だらけ。
彼の体の中にある熱量の大きさに、驚いた。帰ってきてからも、傷がついた手をずっと眺めていた。

ボランティアをした期間のことは、ことあるごとに思い出す。
障がい者とされる人々や、家族の日常を思う。その日常と私の日常は、なぜかなかなか交わらない。避けている訳ではないのに、どうしてこうなっているんだろう。
健常者として生きている私は、彼らと何が違うのだろう。「障がい」ってなんなんだろう。

それに関する本を読んだり、映画をみたり、そして実際に関わりを持ったり、考える機会を持ち続けなければ。
今、この社会の中で生きているのには違いはないのだから。

今日、書いておきたかったこと。

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