とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

「つまらない街なんてない」〜住むことについて


先日、とあるメディアに取材を受ける機会があり、その中で出てきた言葉だ。取材のきっかけはいわきに来たからだった。移住者というやつだ。何かを成し遂げたわけではないけれど、これまでの経緯をひとしきりしゃべった。正直、取材前にそのサイトを見たのだけれど、思わずのけぞってしまうくらい皆さんすごい人たちばかり。そんな中で「私たちなど何の参考になろう」と思った。

ゲラを見たけれど「あんなとりとめもない話をよくまとめたなぁ」と感心してしまった。いままで取材はたくさんしてきたけれど、取材されるのはほとんど初めてで「相手はこんな気持ちなんだなぁ」と勉強になった。近々出るはずなので、ゆったりと待っている。

「移住」が流行のようである。移住という言葉は、何となく大袈裟で気恥ずかしい。「引っ越し」くらいの気持ちである。もともと、引っ越し自体にあまり抵抗がない。というより、ずっと同じ家に住み続けたことがかれこれ10年以上ないから、いろんな街に住んできた。家の更新期限が迫ると「次はどこに住もうか」と考えているくらいだ。

初めて実家を離れたのは高校を卒業して浪人したとき。予備校の寮が東京の日野にあった。大学に入ってからは西武線の小平にアパートを借りたが、家賃が高くて高円寺の風呂なしアパートに移った。まもなく、弟が上京して、2人暮らしでは手狭なので、今度は郊外の町田に広めのアパートを借りた。そうこうしている間に就職が決まり、職場に近くて同僚があまり住んでなさそうな谷根千界隈で2度ほど引っ越しを繰り返し、それから妻と高円寺に戻った。高円寺を引き払っていわきに来たが、またもや更新期限が迫っているので、引っ越しを検討中。

どの街も、人が住んでいる以上、人の分だけ話があり、生活があり、歴史がある。多かれ少なかれ、建物があり、自然があり、文化もある。大変なこともあるし、課題もあるし、帰れない街もある。政治は何もしてくれないし、行政は鈍かったりするけれど、つまらない街はないと思うのである。街をつまらなくする人間はいるが、街そのものには罪はない。

ふらふらと引っ越しを繰り返す私が、街に求めるものはあまり多くない。一方で、つまらない街などこれまでどこにもなかったと思う。地元愛と呼べるものは、あまり持ち合わせてはいないけれども、程度の差はあれど、一つひとつの街が「故郷」である。日本中、世界中に故郷ができればいいと思っている。かなりいい加減な感じではあるが。

そもそも、もう実家もない。大学生のときに、本当の実家は手放した。親はいま、アパート暮らしだ。なんとまあ、機動的な一家だろう。だからこそ、私と出会った街の一つひとつを、故郷と呼びたいのかもしれない。

というわけで、住宅購入というものにまるで興味がないのだが、家を売る新聞チラシは本当に多いと思う今日この頃。欲しい人がこんなにいるとすれば、私は少数派なのだろうか。

そんな感じで。

-savamiso
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