吉野せい賞、表彰式を終えて思ったこと。
先週、吉野せい賞の表彰式があった。もうなんだかだいぶ遠い昔のような感じがする。やはり賞というのは、いつまでも抱えていてはいかんと思う。取ったときが一番で、あとは忘れるくらいがちょうどいい。とかいいつつ、この場所で、作品と受賞についていまの気持ちを残すことは自分にとって大切なことなので、書いておく。
初めて書き下ろしたノンフィクションが、準賞という結果だった。総評でも触れられているが、正賞を2つの作品に与えることはできないので、若い私が準賞になったそうだ。不思議なもので巡り合わせというか、つくづく賞というのは面白いと思った。これが去年か、来年に出していたら、また違う結果になっていたのだろう。結果は結果。とりあえず活字にしたかったから、目的は果せた。選考委員の1人からは「次作を楽しみにしています」というお言葉もいただいた。ありがたい。むろん、正賞でも準賞でも落選でも書き続けることには変わりないが、こういうお言葉をいただくと、プレッシャーもモチベーションも違う。
少し作品のことを話す。今回の作品「熱源〜いわき市民ギャラリーとその時代」は、約40年前のいわきで、市民ギャラリーという団体を立ち上げ、ヘンリー・ムーアやロダンといった、世界的な芸術家の展覧会をいわきで企画した人たちの話である。市民ギャラリーの活動は、美術館建設運動の原動力となった。いわき市立美術館は、彼らの運動の上に建っている。
この話を最初に聞いたとき、もっとこのことについて知りたいと思った。そこで図書館に行ってみたが、探しても探しても、あまり文献らしい文献は出て来ない。そこで私は気付いた。「もしかして、これは、ものすごい話を聞いているのではなかろうか」こうして、取材が始まり、その世界にのめり込んだ。吉田重信さんがいろんな方と繋いでくれた。私は本当に恵まれていたのだと思う。
聞けば聞くほど、率直に言って、この話がなぜ40年間も表舞台に出てきてなかったのだろうと思った。これは、多くの人が知らなければならない話である。試しにいわきの知り合いにことのあらましを話してみる。誰もが「へえ〜!」と感動する。やっぱり、この話はすごい話だったのだ。
そうやって、書き上げた。むろん、これは、テレビで言えばローカルではなく全国ネットぐらいの話である。だから、枚数を変えて別の文学賞に出すこともちらっと考えたけれど、やっぱり、これは、いわきの吉野せい賞以外に考えられなかった。僭越なのは百も承知で、いわきに贈りたい気持ちだった。ほとんど何もない状態でこの場所に住み着いて、ここまでやってこれたいわきの皆さんへの恩返しと、自分なりの集大成の気持ちだった。
これが活字になることも大切で、これから先、いわきで私のように「市民ギャラリー」について、あるいは先達のとんでもない活動や功績について知りたい人が、この作品に行き当たることを期待している。そして、新しい話をどんどん発掘してくれればいいなあ、と思う。
そして、私はといえば、これからも書き続けていよう。最後に、表彰式のあいさつの草稿を残しておこう。このときの気持ちを忘れないことは、自分にとっても大切なことになるはずだと思う。
そんな感じで。
今回、このような式を開いてくださったこと、大変感謝申し上げます。
私は、いわきの出身ではなく、2年前にいわきに流れ着いた流れ者です。いわきに住んでから、この賞の存在を知り、以来、ずっと意識してきました。それがこのような形になったこと、しかも、松田松雄さんと緑川宏樹さんといういわきにとって、偉大な2人の流れ者の話で受賞できたこと、非常に感慨深い思いでいます。
この作品は、私にとって、いわきの集大成であるとともに、もの書きとしてのスタートになる作品です。受賞できたことを本当にうれしく思います。私も(正賞の)酒井正二さんのように、生涯新しいものを創り続ける書き手でありたいと思います。
いわきに来る前、私は東京でテレビ局の報道記者でした。5年間、政治部と社会部を半分ずつやりました。いまも気持ちは記者のつもりでいます。それは一貫しています。今回のこの作品は、このときに身につけた技術をすべてつぎ込みました。
取材力、文章力、構成力、資料を読み取る力……。作品を作るにあたって、私が持っているすべてのことをこの作品に込めたつもりです。
しかし、私が優れた記者であるかどうかは別として、記者が評価されるものを残すためには、どうしても必要なことがもう一つあると思っています。
その必要なものとは「運」です。スクープに出会う運、大きなニュースに出会う運、人に出会う運です。縁といってもいいかもしれません。「運も実力のうち」なのが記者なのです。この運を持ってさえいれば、実は多少技術が劣っていても、評価されたりするのもまた記者です。
その意味で、私は今回、ほんとうに運に恵まれていました。この市民ギャラリーの話を聞いたとき、特ダネを掴んだときと同じような、身震いするものを感じました。これは絶対に書ききらなければならない話だ、と直感しました。記者の性みたいなものだと思います。ぜひ、一人でも多くの方に読んでいただきたいと思っています。
最後になりましたが、この作品を書くきっかけをくれた吉田重信さんを初めとする玄玄天の仲間たち、お忙しい中取材に応じてくださった皆さん、そして、傍で支えてくれた妻と、お腹の中にいる長男に感謝したいと思います。ありがとうございました。