とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

<とまり木前夜>修作編⑨〜「うみラボ!」に参加する。


石巻まで行って、いわきに戻ってきた。それからいわきで「うみラボ!」に参加して、東京に戻った。このときに、出会った人たちといま、いわきで交流していることを考えると、人の縁はどこでどうなるかわからないものだと思う。この時点で、私はまだいわきに住むことを考えていなかったからだ。

思い返してみると、この「うみラボ!」は、今後のいわきの人付き合いの中でなかなか重要なことだった。このときは気付く由もないのだが、このときに知り合った人たちから、いろんなことが始まったのだと思う。「あのときがなかったら……」と思うことは30余年も生きていれば、いくつかあるものだけれど、この「うみラボ!」は間違いなくそんな日だと思う。

付け加えれば、私はこのまま東京に戻るつもりでいたのだけれど、妻が主催者のひとりをTwitterでフォローしていて、私に知らせてくれたのだった。妻は用事があるので、先にいわきを離れ、私一人の参加だった。

さて「うみラボ!」は「市民有志による海洋調査チーム」で、いわきの久ノ浜漁港を出て、双葉郡を海から眺めながら、第一原発沖まで船で出て、釣りをしてその魚を調べてみるということ。自分の手で、目で、実際にそれを見てみようという活動だ。

雨混じりの日だったけれど、海の上は静かだった。(船は揺れたけれど)船が目的地まで着いて、壊れた第一原発を見た。実物を見るのは人生で初めてのことで、とても不思議な感覚だった。少し霞んでいたからかもしれないし、1.5kmほど離れていたからかもしれないけれど、思いのほか、存在感がなかったのである。「こんなものなのか」と思うと同時に「こんなもののために……」とも思わずにいられなかった。

釣りの方はてんでダメだった。原発事故以降、福島沖での漁業は自粛が続いており、試験操業に留まっている。そのため、海洋資源が回復し、これまでとは比べ物にならないくらい魚がいるといった説明を受けたものの、私が釣ったのは地面だけであった。

翌日、その魚をアクアマリンふくしまで計測した。基準値を超えるものはなかったと記憶している。ちなみに、このとき「調(た)べラボ!」というのが初めての試みで、実際に試験操業で穫れた魚を食べるのがあった。ニクモチカレイを初めて食べた。青森の魚とはまったく違う魚のバリエーションを見て「所変われば……」というのを実感した。いまでもそうだが、いわきの魚は油が少ない印象がある。

こうして、とりあえず旅を終えた。東京に戻ってアパートを引き払う手続きをとった。それから、家を探し始めた。目的地は南相馬。この後、大変なことになると気付くはずもなく……。

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