とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

<とまり木前夜>修作編⑧ 〜石巻まで。


前回までの話。会社を辞めて、妻とふたり6号線を北上。松川浦まで行きました。前回までの<前夜>はこちら
その後、相馬を後にしてさらに北上した。新地で復興支援員をしていた方に会ったこの方はいまとなっては家族ぐるみのお付き合いをしている。役場の上から町を一望させてもらった。津波被害のあった新地。その風景は浜通りで見た景色とはまったく違っていた。ほとんどが更地になり、かさ上げ工事が進んでいた。津波の跡はいたるところにあったけれど、双葉郡や小高で見たような沿岸の風景とは違って、何かが進んでいるような光景だった。

「あの辺にJR新地駅ができるんです」と、何もない場所を指差したのをいまでも覚えている。去年の12月、あの場所に本当に駅ができた。

それから、さらに北上した。行けるところまで行こうと言って、石巻まで行った。日和山から、変わってしまって、変わりつつある街を見た。日記を読み返してみたけれど、ほとんど役に立つことは書いていなかった。正直に言うと、事の重大さにやっと気付いたのだと思う。大変なことが起きている。それ以上はわからない。何も言えない。書けない。残せない。ただただ見てきたのだ。

「時間が止まったままの6号線」という言葉をよく目にしたけれど、時間は果たして止まっていたか。警戒区域で生い茂る木々は、家や店を呑み込んで、4年、5年と時を刻んでいることを示していた。時間が止まっているのではなく、私たちが何もできずにいる。そう思ったのだけはよく覚えている。

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