とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

夫の夏休み・奥津軽紀行② 〜十三湖と十三湊


竜飛に行く途中、立ち寄ったのが十三湖だ。しじみ貝では西の島根・宍道湖と双璧をなす。こちらのしじみ貝は大きいのが特徴で、道の駅では直径5cmはあろうかという、はまぐりみたいなしじみ貝も売っていた。

とにかく風が強かった。目を開けていられないほど、強い風が始終吹き付ける。それでいて、目の前に広がるのはどこまでも荒涼とした風景だ。何となく、本州の北端に向かっているんだなということを自覚せざるを得ない。しかし、この場所はかつて、日本でも指折りの豊かな場所だった。

その十三湖。なぜ十三なのかはわかっていないようである。周囲に十三の集落があったからだとか、十三の河川が流れ込むからとか、あるいはアイヌ語で湖沼のほとりを差す「トサ」から来ているとか様々な説があるそうだ。ちなみに青森には南に行くと白神山地があり、その麓には十二湖があるのだが、こちらは無関係とのこと。

中世、十三湖のほとりにあった港湾都市が「十三湊(とさみなと)」である。この十三湊を拠点にして13〜15世紀に栄えた豪族が安東氏である。十三湊はかなり大きな国際貿易港だったらしい。西の博多と同じ規模だったと唱える人もいる。文献が少なく謎が多いだけに、ロマンをかきたて、県内でも伝説的に語られることが多い。

安東氏は平安の武将・安倍貞任の末裔を名乗るエミシの豪族である。この国際貿易都市一帯を支配し、豊かな経済基盤を作り繁栄した。西から米や陶磁器がもたらされ、北から蝦夷が島(北海道南部)の海産物がもたらされた。ここには日本や世界の人や物が集まり、そして全国、あるいは世界へと散って行った場所なのである。

と、ここまで書いて、現在のこの付近の風景はどうか。とても豊かな場所とは呼べない、荒涼とした風景が広がる。十三湖そのものも、どこに港があったのかと思うほど、砂が堆積している。なぜ、これほどまでにその面影がないのか。

安東氏は南部氏との戦争で敗れて没落した。蝦夷が島に落ち延び、何度か津軽の奪還を目指したようだが、それもかなわなかった。(このエピソードを聞くと「津軽海峡冬景色」が頭の中を流れる。いつの世も何かを背負った者が渡るのが津軽海峡なのだ)

不思議なのは、南部氏がこの十三湊を重視しなかったことだ。安東氏が滅ぼされて後、この場所は打ち捨てられていたようである。その間に、吹き付ける風に運ばれる砂で街も湖も埋まってしまった。再び人が住むようになったのは1世紀も後のこと。それがいまの集落の基礎となっているそうだ。

その集落の間を縫って、吹き付ける風の中を突き進むように、私たちは竜飛へと向かって行った。

そんな感じで。

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