とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

いわきをつまらないと思ったことは一度もない。

2017/03/30


きょうは「いわき文化まちづくり市民会議~これからのいわきに必要な『文化芸術によるまちづくり』について~」というものに参加してきた。見知った顔の方々が、パネリストとして壇上でお話をしていた。後半の後半、パネルディスカッションの温度が高くなってきたところで、時間切れ。もう少し議論を聞いていたいなと思った。

私たちは、いわきまちなかアートフェスティバル「玄玄天」の実行委員もしているのだが、基本的にまちづくりに関わっているという意識はほとんどなかった。今回の会議も「まちづくり」と銘打っているものの、パネラーの皆さんの話を聞いていると「まちづくり」から端を発しているものはほとんどなかったんじゃないかと思う。

芸術や文化に関わったことではないが、まずは「やりたい」「変えたい」とか、そういう抑えきれない気持ちが表現になったり、活動になったりするのがほんものだと思うのである。そういう作品や取り組みが、人を惹き付け、街を「結果的に」変えていくのがほんとうなのではないかと。今や、日本中で行われているアートフェスなるものの中には、その順序が逆になっているものもある。つまり、まちづくりのためにアートを使っているようなものだ。そういうものに私はそもそも懐疑的だし、アートはまちづくりのために存在しているのではない。「伝えたい」「表現したい」という抑えきれない気持ちが、作品になり、それが人を感動させるのだと思っている。

だからこそ、率直に言って、実は最初は「まちづくり」と「文化芸術」を結びつける今回のイベントは、ちょっと気が引けていた。ところが、パネラーの皆さんは、どの人も「やりたい」「変えたい」から始まっている人ばかりで、「ああ、いわきって面白いところだな」と、改めて思った。本当に思った。

いわきに来て2年が経つ。いわきを面白くない街だと思ったことは実は一度もない。刺激的で奔放な街だと思う。一方で、意外にも「いわきはつまらない」とか「いわきの文化を底上げしたい」という人たちが、こうした活動のきっかけだったりもするようである。それも、ここ何年かの話ではなく、何十年も前から、そういう議論があり、運動があり、活動があった。

個人的にいま、その部分にすごく興味を持っていて、調べてみようと思っている。最近感じるのはこの土地の人たちの「いわきはつまらない」という自覚は、(必ずしもそうではないと私は思うのだが)いわきでは何かを始めるエネルギーになり続けてきたのではないかということだ。「いわきはつまらない。だから○○しよう」という歴史が、この場所では何度も何度も行われてきた。すべてがそうだとは言わないけれども、どこかにそういう議論があった形跡が残る。

本当に刺激的な街であると思う。知れば知るほど、深みにハマっていきそうである。そして、どうせハマるなら、ハマり倒そうと思った。と、ここまで書いて、気付いた。たぶん私はもうハマっている。

そんな感じで。

-savamiso
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