とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

<とまり木前夜>久恵編③


だいぶ時間が空いてしまったけれど、とまり木前夜久恵編再開します。

前回までのブログはこちら
<とまり木前夜>久恵編①
<とまり木前夜>久恵編②

東京に戻ってきた私は、高円寺で夫と暮らし始めた。
憧れていた東京での社会人生活。
希望していた部署にも配属されて、希望いっぱいだったはず。

でもその頃の記憶がほとんどないのだ。
きちんと思い出せるのは次の年の4月。
自力では思い出せないからその当時の手帳をめくってみたけれど、そこには白紙のページが続いていた。
何かしら書いてあるかと思ったのだけれど、たまの土日に映画の半券やチケットがのりで貼りつけてあるだけ。
2013年からの半年間、私は何をしていたのだろう。

たぶん、仕事に生活に慣れていくことに必死だった。「慣れ」より「順応」という言葉の方がしっくりくるかも。

仕事は、学生ノリだった研修が終わって、ひとつひとつの仕事を覚えて業務に携わること、職場の雰囲気にも馴染むことに。
研修の頃は直にお客さんとやりとりできて、この人たちのために仕事しているんだ、という想いを少なからず持てたのだけれど、
本配属の部署はお客さんと私の間にたくさんの人が仲介していて、なんだかとても遠い存在になっていた。
なんだかなあと思ってはいたけれど、忙しくて深く考えている余裕はなかった。

生活は、激務をこなしていた夫と平日はほとんど話もできない日々。
帰ってきても一人だし疲れてるから自炊もせずに何か適当に食べて寝ていたんだろう。(何を食べていたのかも忘れた)
夫は私が寝た後に帰ってきて起きる前に出勤していたから、本当によくやっていたと思う。
でも、ふたりの生活はこれからもずっとこんな感じで続くのかと考えて寂しくなることもあった。

休日は今ではよくやってたなと思うのだけれど、ネイルしてまつげエクステをして、
都内のあちらこちらの季節ごとのイベントを探して足を運んでいた。
お金をかけて少しだけ綺麗になって、たっくさんのお客さんの一人として訪れて「楽しかったね」で終わる休日。

たぶん、こんな日々だったと思う。
結果的に私は順応できなかった。
自分の想像していた生活からどんどんかけ離れて、知らぬ間にいろんなモヤモヤが心に溜まっていった。

-megum
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