とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

東京にいて考えたこと。


今週末は友人に会うために東京にいた。いわきに来る前から関わっていた杉並の聞き合いの場づくりの活動が50回目の節目だったので、お祝いのためだ。50回を機に、代表とメンバーの1人が卒業し、それぞれ新しい道に進むということ。お疲れさまとおめでとう。

東京に行くのはたぶん夏以来だったかな。それもテレビ局時代の上司の送別会だったから、東京に行くということは、人に会いにいくこととイコールになった。それはそうだ。仕事も家もない場所に行くのだから、人に会いに行くか、遊びに行くかのどっちかだ。

東京はクリスマス一色である。何の号令をかけなくても、これだけ街中がクリスマスになるのだから、すごい街である。これが25日を過ぎると、正月一色になるのだろう。

絶えず人とモノが行き交う東京を見ていると、良くも悪くもここは「中心」であり続けるのだと思った。本当にいろんなものが集まるところだ。住んでいるときは気がつかなかったところもある。いまこうして、別な場所に住んで来てみると、つくづくそう感じる。

友人に会う前、神保町で古本を漁った。特にお目当てがあったわけではないが、3冊の本を買った。

「イフンケ(子守歌)―あるアイヌの死」
「民族接触―北の視点から」
「全国方言資料 北海道・東北編」(この本Amazonだとこんな値がついているのか…)

気がついてみれば、中心の街で買ったのはすべて辺境の話ばかりだ。「住めば都」というけれど、自分が住んでいるところが辺境だと思って生活してきた気がする。1,2年おきに引っ越しを繰り返してきたので、どうしても自分が住んでいるところに対して、愛着よりも好奇心が勝っていることが多い。そして愛着を感じる前に引っ越している。たぶん住むことよりも移動が好きなんだと思う。

きのうは有楽町で骨董市に行ってきた。古本と骨董市。新しいものを生み出し続けるこの街には、古いものも集まってくるのだと実感した。

大きい街だよ、東京。でも、大きいことはすべてではない。なんて、混み合う駅で人にぶつかりそうになりながら、考えたりする。

そんな感じで。

-savamiso
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