とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

<とまり木前夜>修作編⑤


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「南相馬に住もう」ということが決まった。秋が過ぎて、冬が近づきつつあった。体調はあまりよくはならなかった。忙しい日々もそうだったけれど、それ以上にもう、目の前の仕事や街並に、心が離れていたんだと思う。何とか集中しようとしたけれど、最後まで元通りにはならなかった気がする。表面的にはきっちりやってきたつもりである。本当のところ、どう見えていたのかはわからないが、今までのような自分ではなかった。

年の瀬に、上司に会社を辞める旨を伝えた。伝える前までは「一歩を踏み出した」とすっきりした自分を想像していたけれど、いざ伝えてみると「もう元には戻れない」という方の気持ちが大きかった。不思議だな、と思ったのをよく覚えている。極めて冷静に、私の話を聞いてくれた上司には、本当に感謝している。あのとき、どれほど私は救われた気持ちになっただろう。

冬をやり過ごして、春が来た。3.11は記者クラブのブースにいた。各局の震災特番を見ていた。私の会社はもう、何もしていないに等しいものだったと思う。番組全体としてはやっていたのかもしれないが、完全にローカルニュース扱いだった。地方局からのレポートに大半が占められ、局として震災や原発事故とどう向き合っていくのか、まったくわからなかった。たぶん誰にもわからないのだろう。

ちなみにその日の夕方のトップニュースは「トワイライトエクスプレスの最終運行をめぐるチケット争奪戦」だった。これを2015年3月11日に、私の会社は最も重要なニュースだと判断したのだ。辞めることは決まっていたけれど、私は悔しくて悔しくて、ブースで号泣した。どうして、こんな恥ずかしいことができるのか。この日に、私は自分の選択が間違ってなかったと思った。それを最後の最後に思わせてくれた会社に感謝している。

苦楽をともにした記者仲間とこぢんまりとした飲み会もあったし、相変わらず派手な歓送迎会もあった。その中で「ああ、もうこれが最後になるかもな」という人もいれば、「今後も大切にしていきたいな」と思う人もいた。そうこうしているうちに3月が終わった。私のテレビ局生活も終わった。4月になり、まず初めにやったのは運転免許を取ることだった。

-savamiso