とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

5月のこと④〜海猫と極楽浄土


ずんずん南下していった私たち。とりあえずの目的地を岩手県宮古市の浄土ヶ浜にしていた。一度、その景観を見てみたいと思っていたのである。市のHPの説明によると、

浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681〜1684)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。

とのことである。美しい景観なのは確かだけど、この世の実際の風景を目にして「あの世みたいだ」と言ってしまうのはどうなのだろう。この世がそれだけ擦れているということなんだろうか、とか余計なことを考えるのだから、たぶん僧職には向いてなさそうだ。

この移動のあいだ中、どこに行っても海猫がいた。まるで海猫と旅をしているようだった。極楽浄土も例外ではなかった。到着してすぐに駆け込んだ遊覧船は、餌欲しさに飛んでくる海猫を引き連れての旅だった。わかめが入った「うみねこパン」は、船内で100円で販売している。塩気がそこそこ効いていて、まずくはない。

日々、極楽浄土の中にいて、塩気の効いたパンを食べて、空を飛べる海猫たち。悩みなんてあるのだろうか、などと思っていたが、途中でケガなのか病気なのか、動けなくなっているのがいた。彼らがいるのは自然の中。彼らなりに大変なこともたくさんあるのだと考え直した。

船内ガイドで、この船が震災のとき、津波を避けるために警報とともに沖に出たのだという。それから、港に戻ったのは13日の昼。まる2日、沖にいた。そのときに、船員の空腹を満たしたのが「うみねこパン」だったという。沖から見る津波は「まるで白い壁みたいだった」そうである。

次々にいろんな形の奇岩が目の前に現れ、海猫が頭上を通り過ぎる。40分ほどのコースはあっという間だった。ビジターセンターで三陸沿岸の地勢を学んだあと、再び車を南に走らせた。この日の最終目的地の気仙沼へ。もう日はだいぶ傾いていた。

そんな感じで続きます。

 

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