仕事とは何ぞや。
ブログの投稿が滞っていたのは、フリーペーパーの締切が迫っていたから。とまり木ではない。僕はとあるインフラ企業に所属していて、情報誌を編集する仕事をしている。健康をテーマにしたフリーペーパーで、創り続けて半年くらいになるのだが、結構健康関連の知識は増えた。
最近、といってもずいぶん前からなのだが「お仕事は何をされてるんですか」と聞かれる。「まあ、いろいろやっていて…」と答えるのだが、そのたびに「仕事とは何だろう」と考えてしまう。「本業は…」と言いかけるのだが「自分にとっての本業とは何ぞや」と。
会社に所属しているからフリーではない。れっきとしたサラリーマンである。そういう意味では「本業」は「フリーペーパーを作っています」ということになるのだが、ここで言う「本業」とは「収入源」とほぼ同義だ。それが仕事というものだろう。念のため言っておくと、この「本業」は疎かにしているつもりはないし、それなりの情熱を持ってやっている(と、自分では思っている)。
企業がバックにいるフリーペーパーというだけで、それなりの制約もあったりするけれども、そもそも制約というものは創造の妨げにはならない。必要なのは形にしようとする情熱だったり、伝えたいという理想だったりする(偉そうに。だがこれがないとなかなかできないものである)。どんなところにも、多かれ少なかれ、制約は存在するし、本当に自由な場所で人は何かを創ることができるのだろうか。
こんな青臭いことを言いたいのではなくて、仕事の話だった。「本業」と「副業」という区別もあるにはあるのだけれど「お金をもらう仕事」と「そうではない仕事」という言い方はどうだろう。
私は会社で仕事をした後、自分の興味がある分野のインタビューをしたり、芸術祭のミーティングに出たり、「とまり木」の編集をしたりしている。休日は、イベントの手伝いをしたり、どこかへ行ったり、小高でmimoroneの写真撮影をしたりしている。これらが「そうではない仕事」にあたる。厳密に言えば「そうではない仕事」でも、お金をいただくことはある。が、目的はそれではない。
「そうではない仕事」は、モチベーションが別なところにあって、それぞれ違う。共通しているのは、お金ではないということ。ちなみに、私自身のモチベーションはお金ではないが、自立していこうという活動も多い。面白いと思うのは、責任がそこそこ(時には「お金をもらう仕事」以上に)発生するということだ。もちろん、無理強いはされない。だけど、のめり込めばのめり込むほど、やってしまう。
「そうではない仕事」に懸ける情熱は、時に「お金をもらう仕事」を超えていく。「いかんいかん。お前は何でメシを食っているのだ」と思いつつも、私はこれを「趣味」とか「ボランティア」とか呼ぶのは結構な違和感があって、「仕事」と呼びたいのである。そして「お金をもらうだけが仕事じゃありませんよ」と堂々と言いたい気持ちになる。
「仕事=自分」みたいに説明できるといいのだが、なかなかそうも行かない。そんなふうに説明できる人たちが、正直羨ましい。そんなふうになってみたい。会社にいる自分は一面に過ぎない。多重人格とか、会社で猫被ってるとか、そういうわけではなくて「ああ、フリーペーパーを作っているんですね」と思われてもいいのだが、ちょっと違うし、何となく不親切な気がするのだ。正確には「フリーペーパー『も』作っています」ということなのだから。
と、ここまで書いて「生活長者」について前に書いたことがあったのだった。そうそう、こういうことだった。書いていて、思い出した。まったく同じようなことを書いていた。すでにうまく説明されているじゃないか。働くってなあに。
そんな感じで。