とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

北東北旅行ノート① 〜いわきから鶴巣PAまで。

2017/08/06


年末年始は北東北へ行っていた。旅の目的は実家のある弘前で年越しだったけれど、私たちらしく一直線に進むようなことはせずに、常磐道を北上し、宮城を突き抜けて盛岡まで。私にとって盛岡というのは、東北新幹線が青森に来るまでの間、新幹線に乗るために立ち寄る場所だった。新幹線の八戸駅が開業してからも、弘前から盛岡にバスで行って、そこから新幹線に乗った方が早いし安かった。余談だが、新幹線の八戸駅開業の際、津軽地方はまったく盛り上がっていなかったと記憶している。そんなふうにして新幹線に乗っていた津軽地方の人間にとっては、東京が近くなったわけではなかったし、何より南部地方に新幹線の駅ができたところで、それは別な県にできたくらい遠い場所の話だったのかもしれない。

当時、弘前と青森市ぐらいしか知らない私にとって、盛岡は都市であり、駅は圧倒的な大きさを誇っていたように見えた。東京へ行くための場所というのは、東京とほぼ同義に感じるときがある。出発するときの興奮や寂しさみたいなものが、ないまぜになってその場所を自分の中で位置づけている。

と、まあ盛岡の話をしようと思ったのだけれど、盛岡は帰りにも立ち寄ったから、そこに至る道の話をしようと思う。テレビ局で記者をしていた頃、東北について先輩がこんな話をした。「北東北・南東北なんて言うから、南東北は栄えている、みたいな印象になるんだ。それは東京からみた距離でしかない。俺は西東北・東東北で分けたら、だいぶ世の中変わっていたと思う」震災直後だったと思う。三陸から浜通りに至る津波や、東北における原発の立地の現状を見ていると、有無を言わさず西東北と東東北の話であった。先輩はさらにこう付け加えた。「だいたいお前んとこもそうじゃないか。津軽だ南部だって、じゃあ、真ん中でまっぷたつにしちゃえばいいんだ。青森さえそれでよければ、東北は西と東で分けられるんだよ」なるほど。

私たちは、常磐道をいわき湯本インターから北上し、仙台東部道路を突き抜けて、東北道に抜けた。東東北を走った。景色は少しずつ、目まぐるしく変わった。福島県内では「見慣れた」線量の表示と、沿道のフレコンバッグが目に付いた。宮城に入ると山元や亘理で稲刈りが終わった田んぼが目の前に広がった。慣れというのは恐ろしく、宮城に入ってから景色の変化についていけずに、知らず知らずのうちにフレコンバッグが積まれていない広い田んぼに違和感を感じていたのだった。決して見慣れてはならない景色に、私は慣れてしまっている。自分にショックだったと同時に、この景色を壊したモノに改めて怒りを感じた。

仙台に入って宮城を抜け、岩手に入ろうかというところで、雪が降ってきた。こちらは私がよく知っている冬の景色だった。やっぱり冬は雪がある方が落ち着くみたいだ。雪道を運転したことがない私にとっては、身構えるべきだったのだろうけれど、気持ちは穏やかになっていた。北国の洗礼だったのかもしれないが、私にとっては祝福の雪だった。

そんな感じで続きます。

-savamiso