とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

北東北旅行ノート② 〜盛岡城、北上川、岩手山。

2017/02/04


雪はすぐに止んだ。身構えて走っていたのに、路面はずっと乾いていていい天気だった。盛岡に着いて、「白龍本店」でじゃじゃ麺を食べ、それから近くの「六月の鹿」で珈琲を飲んだ。ひっきりなしに地元の人が集まる白龍の後、落ち着いた雰囲気で丁寧に入れられた珈琲を飲んだ。龍と鹿。

盛岡には城があり、川があって、山がある。盛岡城、北上川、岩手山。大きな山と川というのは、いつも圧倒的である。有無を言わさずそこにあって、川を中心に生活していかざるを得ないし、山は信仰せざるを得ない。そしてそこに人が集まり、道ができて、街ができて、城ができる。弘前にも城と川と山がある。これもまた、圧倒的である。岩木山と岩木川があって、弘前城がある。そんなことをつらつらと考え、おでんをつつきながら、夜は関山をだらだらと飲む。

お疲れさまといいながら、来年のとまり木についても話していると、雪が降ってきた。頭に雪を載せた酔客が「空いてますか」といいながら、店に入って来る。入れ替わりに雪の中「ごちそうさまでした」といいながら、夜の街へと消えていく者もいる。こういう年末は、とても良い。

私が住んでいるいわきについて考える。山と川、あるにはあるが、圧倒的ではないと私は思う。平、小名浜、湯本、内郷、勿来などなど、いわきにはいろんな地区があって、それぞれが個性的なのであるが、圧倒的な山と川がないが故に、それぞれがそれぞれの地元観を持っているのではないか、などと酔っぱらいながら考えた。「弘前といえば?」「お城と岩木山」というような答えが、いわきにはないように思う。人の数だけ、その答えがあるのではないだろうか。それはそれで素敵なことだと思う。何も山と川ばかりが街ではないのだけれど、それが圧倒的であるが故に、自慢でもあり、意識して行かざるを得ないというのが、大きな山と川なのだろうから。

そんな感じで続きます。

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