とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

明日の参院選、最後のお願いです。


11年前の冬、私は大切な人を失いました。その人は自らの命を断ちました。いろいろな事情があったのだと思います。私はその理由を未だに知りません。

その人は自分で会社をやっていましたが、世の中の流れの中で仕事がどんどん減っていきました。そういう時代だったのだと思います。そんなに昔ではありません。業種は土建で、いま「脱原発」を叫んでいる人が総理大臣をやっていた時です。

自殺した理由はわかりませんし、もともと事業がそんなにうまくいってなかったのかもしれません。それでも、大切な人を亡くした私は「政治には人を殺す力がある」ということを感じざるを得ませんでした。

政治が人を殺す理由は明らかです。それは、守っているのが人間ではなく国家だから。国家の前では、一人の人間は小さな存在です。国家の前に人間があれば、戦争は起こらないはずです。少なくとも私はそう考えています。すべての戦争は国家の名の下に行われます。

戦争ばかりではありません。国が栄えるためならば、小さな片田舎の土建屋の社長がひとり死んだって、突き進むのが「政治」の一面なのかもしれません。あれだけ槍玉に上げられた土木工事が、いま、オリンピックの名の下に、また息を吹き返しています。もう少しだけ生きていてくれれば、食べる分くらいは困らなかったかもしれません。手のひらを返したように、土木工事が盛んなこの国を見ていると「政治」の身勝手さを感じざるを得ません。少し話が飛躍しているのは知っています。私は感情的にこの文章を書いていると思います。

人間の前に国家がある。そういう社会を私は望みません。必ず人が死ぬからです。比喩でもないし、言い過ぎだとも思っていません。事実、私は大切な人を失いました。しかし、参院選を前日に控えたこの国は、11年前よりも一層ひどい状況にあると思っています。人間の前に国家がある。国民ではなく国家を守る。そんなスタンスが、これほどまでに露骨にわかる時があったでしょうか。それでも勢いが止まらないのはなぜだろう。経済成長は日本の経済成長であって、あなたの経済成長なのでしょうか。

そんなことを思いながら、私は期日前投票で一票を投じてきました。まだ選挙に行ってない人は、行ってください。あからさまに人間をないがしろにする政治に、ストップをかけてください。そうでない人も、選挙に行ってください。どちらに入れるにせよ、選挙後のこの国の姿に、責任を持ちましょう。

-savamiso
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