<とまり木前夜>修作編⑬ 〜首の皮一枚つながる
携帯の画面ばかり見つめて過ごしていた。スマホ依存症なわけではなくて、電話を待っていたのだ。退職日にいわきのアパートに申し込みをしたことは、前に書いた通り。その審査の結果を待っていたのだ。何も手に着かない日々が続いた。これまで何度も引っ越しをしてきたが、これほどまでに「審査」というものをプレッシャーに思ったことはない。住む家があるかどうかの報せなのである。そして、もしダメだった場合、正真正銘、無職のカップルが見知らぬ(住宅不足の)街でアパートを借りることになる。考えたくもない展開だった。
雨が少し降っていた午後、何かの用事で駅前の郵便局に行ったとき、電話が鳴った。見慣れない市外局番。不動産屋だった。物事を悪い方に悪い方に考える傾向がある私。待ちわびていた電話なのに、これでダメだったら、どうすればいいんだろう。などと思いながら、電話をとった。
「審査、通りましたんで〜」
駅前の通りで妻と2人、ガッツポーズをして喜んだ。泣いたかもしれない。「今日は飲もう!」と言った気もする。実はこの後のことは詳しくは覚えていない。この日の日記を見ても「家の審査通る。首の皮一枚つながった」としか書かれていない。それだけ嬉しかったのだと思う。嬉しすぎて、だいぶ記憶が飛んでいるようだ。
こうしていわきに住むことが決まった。数日後には退職金が振り込まれた。たいした額ではなかったが、60歳にならないと受け取れない401kにしなくてよかった、と思った。入社時に選択しなかった自分を褒めたいと思った。家を買うこともそうだが、20年、30年先を縛られる選択はあまりしたがらないのが私のようだ。
数週間前まで、いわきに住むということを、考えてもみなかった。というか、人生でいわきという街を考えたことなど、ほとんどなかったと思う。高校のとき、全校集会で「台風が近づいていているから、きょうは早めに下校するように」という指示があった。そのときにその教師が「いま台風は福島県のいわき市上空です」と言った。なぜかそのことを思い出した。これが私の唯一のいわきの記憶である。
こんなふうにして、住む場所が決まることは、楽しい。決まったから言えるのだが(笑)これにて一件落着。といきたいところだけれど、<とまり木前夜>はまだまだ続く。次回からは「なかなか決まらない仕事編」をお伝えします。「地方で働くこと」について、少なからず参考になるかもしれません。
そんな感じで。
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