とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

生活をしていたいだけ。


憲法の解釈を変えて、戦争できるようになった。止まっていた原発は、再び動き出した。オリンピックの名の下に、基本的人権が制限される共謀罪が作られようとしている。湯水のごとく金を使い、これで景気がよくなると言い続けたが、その気配は見えず、大きな企業の給料は上がったけれど、あまり関係がない人がほとんどではないか。沖縄では暴力が横行し、基地が作られようとしている。国のために死ねという教育勅語を賛美する大臣が跋扈し、その内閣の首相はというと、疑獄のまっただ中にいるにも関わらず、何一つ説明するわけでもない。揚句の果てにはパン屋が日本的ではないから和菓子屋にしろという。

数年の間の話である。何十年もかかって、こんな状況ができているわけではない。「おかしなこと」のハードルが、どんどん下がっているのを感じる。このまま下がり続ければ、「おかしなこと」はいずれは「普通のこと」になって、為政者たちが大好きな「普通の国」になるのだろうか。

私は生活をしたいだけなのである。しかし、穏やかに生活しているだけでは、その生活そのものが毀損されていくようである。正直に言って、私は国益も国家も興味がない。どうして世の中に、こんなにも国益や国家を大切だと思う人がいるのかと疑問を持っている。国家が国益や国家を語るとき、たいていはろくなことにならない。国が良くなれば生活が良くなるなんというのは嘘である。そんなことになった試しは、一度もない。

しょうがないから、声を上げるしかないだろうと思う。静かにしていたいけど、静かにしているだけではこの静けさが失われていく。そんな世の中のようであるから。

そんな感じで。

-savamiso
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