とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

夫の夏休み・奥津軽紀行①


5月のことを書ききらないうちに夏休みに入ってしまい、そしていま、夏が終わろうとしている。とまり木前夜も5月のこともまだ完結していないのだが、誰に頼まれるでもなく書いているのがこの場所だったりもするので、書きたい順番に書くことをお許しいただきたい。

夏休みはいわきから中通りに行って、妻の実家に一泊した後、弘前までひたすら東北を北上した。距離にして450kmほど。東北道をひたすら真っ直ぐにいくだけだから、予定では5時間とか6時間と言われていたが、帰省ラッシュにはまって結局10時間以上かかった。

母が肉じゃがを作ってくれていて、懐かしいおふくろの味だった。私の肉じゃがとは全然違う。私はこってり系、母はだいぶあっさり系である。あっさりを食べて育ったはずなのに。

翌日は墓参り。その翌日。どうしても、竜飛に行きたかった。

確たる理由はよくわからないのだが、自分の中の東北観のようなものを、確認しておきたかったのである。青森を離れたのが18歳、東京を離れたのが30歳で、いわきに住み着いて2年。ちょこちょこ帰っているとはいえ、何となく津軽だの雪だの、そんなものが恋しくなってきた。恋しくなってきた割に、そこらの街をほとんど知らなかったりもする。それならば、うだうだ悩んでいるよりも、津軽平野を突っ切って、北のどん詰まりまで行って見てきたらいいじゃないか。そんな気持ちだった。

このまま、自分の故郷のいろんなことを、知らないうちにぽろぽろと忘れてしまうんじゃないかという気持ちもあった。とまり木的に生きていこうと思っているけれど、それゆえに、自分のルーツを忘れてしまいそうになるという不安。要は演歌みたいな竜飛の荒涼とした風景と、荒っぽい風に吹かれて、ほっとしたかったのである。と、書いていて、とても伝わりそうにないこの気持ちを書き留めたところで、シリーズ「夫の夏休み・奥津軽紀行」を強引にスタート。

ちなみに一人旅と行きたいところだが、「久々に行ってみようかな」と、母がついてきた。母子2人旅である。演歌の世界からはほど遠いが、これはこれでありである。

そんな感じで続きます。

-savamiso