とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

絶望しないで考えつづけること。


SNSを見ていると、衆院選の序盤情勢の結果が衝撃を持って受け止められているようだ。果てはマスコミの陰謀論まで出たりしてるけど、調査結果の数字をいじってまで政権を助けるメリットはほとんどないので、あの数字はほとんど額面通りに受け取るべき数字だと思う。

どうしてこんなことが起こるのかといえば、そういうシステムだからだ。小選挙区制度は、一票でも多い方がその選挙区の「民意」で、一票でも少なければ、その「民意」は無視される仕組みだ。だから、絶対に世論調査の結果と選挙結果はイコールにならない。というか、必ず大幅に乖離する。世論以上の力を与える制度なのだ。野党が割れた時点で、この結果は必然だった。

その上で、何度も絶望しそうになりながら、何ができるか考えた。私には2つしか思い浮かばなかった。

ひとつは、選挙結果が民意ではないという声をきちんとあげること、あげ続けること。私が投じた一票が、死票となってもならくても、違うものには違うと言い、怒るべきことには怒る。選挙のときだけやったって仕方ない。一票は軽くはないが、全てではない。疲れる話だけど、やらなくてはならない。割を食うのは私たちだからだ。

もうひとつは、野党を育てるということ。戦後、政権交代は二度あったが、いずれも非自民という枠組みでしかなかった。非自民は政策ではない。自民党への懲罰としての政権交代でしかなかったのではないかと思う。だから、政権交代した時点でその目的は達成され、そして分解したんだろうと。それは、国会のセンセイ方が全面的に悪いのだが、それでも私たちが育てようとしない限り、これまた私たちが割を食う。どんだけひどい話だよ、と思いながら、絶望しないためにはそれしかない。

もう政策をパッケージにして一票を投じることは不可能だ。「憲法を変えるべきだけど、反原発」とか、「アベノミクスは賛成だけど、安保法は憲法違反」とか、そんな意見はざらにある。だからこそ、一票が白紙委任ではないと言い続ける必要があるし、野党に自民党への懲罰を期待してはいけないと思う。

選挙は必ず行く。

-savamiso
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