とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

海の底から湧き上がる


昨日の夜は「いわき文化まちづくり会議」に参加した。
市長の前で今いわきで行われている市民活動についていくつかの団体がプレゼンし、パネルディスカッションをするというもの。
パネリストには見知った方が多くて、私にとっては振り返りのような時間だったのだけれど、
今日も一日考えていて、ぼんやりとだけどあるイメージが生まれてきた。
それを忘れないように書いておこうと思う。
絵が描けたらいいのだけど、描けないので言葉で説明してみる。

ひとつひとつの市民の活動は、海の底の熱源のようなもの。
そこから何かのきっかけでぶくっと出てくる。
ぶくっと出た泡(あぶく)は、上へ上へと立ち上る。
それが海のあちらこちらで起こっている。
でも本物の海とはちょっと違う。そのあぶくには色彩があり、熱源はとどまらず揺れ動く。
色の近い熱源同士が出会うと、あぶくはより大きくなったり、勢いを増したりする。
あぶくは立ち上る過程で他の色のあぶくに出会って、またそこで姿を変える。

いわきの場合、この熱源からの熱が何かしらのきっかけで外に出やすいようだ。
だからあちらこちらでぶくぶく、ぶくぶくしている。
時たま水面まで到達するものもあって、それは海の上からも確認することができる。
熱源は常に変化しているから、あぶくを出さなくなることもある。
でも熱がそこに存在していることには変わりない。

ここでの行政やメディアは、今の私にとっては海の上にいる人。

きっとそうじゃないのもたくさんあると知っているけれど、実感としてはこう思う。
水面まで到達するあぶくの数は限られてしまっているのに、海の上から見えているものだけで完結しそうだ。
海の中には泡が混じり合った色とりどりの世界があって、ぶくぶくしていない熱源を合わせたら相当な数になるだろう。
外に出てくるのを待っているのではなくて、できれば一度海の中に潜ってほしい。
そこにはきっと魅力的な世界が広がっている。

豊かな海と海底を持っているのだから、外から見ているだけではもったいないとも思う。

飛び込んでみようかなという人がどれだけいるか、そもそも海をみているか。

まちや文化はある一部の人たちだけでつくるものではないし、つくろうとしてつくれるものではないと思う。

多分気付いたらできている。

自分がやりたくてやっていることが、魅力的な水中や水面のひとつの表情になっていたらちょっと嬉しくないかな。

どうかな。

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