とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

今年の抱負のようなもの


明けましておめでとうございます。
年が明けてもう20日ほど経とうとしていて、ありきたりな言葉だけれど、早いなあと思う。

新年最初のmegumは2017年の過ごし方について。

東京を飛び出し、ほぼあてもなくいわきに引っ越してきて、なんだかんだで今年で2年。
去年は特に、やりたいこと、やるべきことが瞬く間に積み上がったように思う。
人と出会うなかでいわきにだいぶ愛着も持ててきた。
街の印象は魅力的に映る人がどれだけいるか、で決まるんだろうな。
住んで暮らしてみないと分からなかったこともたくさんある。
そこでの普通の暮らしはインターネットで検索しても出てこなくて、
自分の身をもって体感するしかないのだ。
今年はやっと「お客さん」や「どこからかやってきた人」から抜け出せそうな気がしている。
ずっと旅のような生活を続けていたいと思う反面、
その土地に馴染んでいくことに躊躇していてはいけないとも思う。

そんな今年の目標はふたつ。責任と継続。

ひとつめの責任について。
27歳にもなってこんなことを公にするのはどうなの、って気がするけれど
私は基本的に自分で責任をとらなくてもいいような生き方をしてきた。
もし責任を負う必要があった際も責任転嫁できる対象を知らぬ間に探していた。
怖くて、逃げていた。
何をするにも自信がない。責任をとる自信もない。
でもやってみたい気持ちはあるからやっかいだ。
興味の赴くままにこれまでイベントや習い事などいろいろ参加してきて、
それら事柄の裏に自分で責任を取ることを決めた人がいるんだ、と意識し始めたのはつい最近のこと。
そういう人がかっこ良くみえて、羨んでもいる。

生活についてもそうだ。
冬になる前から断続的に体調を崩していて、
その原因は今置かれている環境にあるのだと自分を納得させていた。
自分は気を遣って生活しているのにストレスフルな場所がいけない、と。
でもよく考えてみたら、今そこにいるのは自分で決めたことなのだ。
決めたことで体調を崩しているならそれは自分の責任だ。

自分の外側に原因を求めて責任を押し付けてただ愚痴を言っていることに嫌気がさしている。
自分を好きになろうにもこんなんじゃなれる気がしない。

だから今年は変えたい。
ここでこう宣言したことにも責任を持ちたい。

ふたつめは継続。
飽きっぽい性格に磨きがかかってしまっている。
気持ちがあちこちに分散されすぎていてこれじゃまずいと思う。
だから続けることを決める。
今年は陶芸、パンを焼くこと、文章を書くことを続ける。
興味があるのと好きは違うことがなんとなく分かってきて、この3つは好きなこと。
やり始めると時間がみるみると過ぎていく。
時間を忘れる時間を持ち続けたい。

いろいろ書いたけれどこんな年にする予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

-megum
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