10年後を想像できる?
1月14日は成人式。14日は3連休の最終日だったので一日前倒しして式典を行う自治体が多いようで、13日には街で多くの新成人を見た。スーツや振り袖姿をみて、当時の自分をぼんやりと思い出していた。たまたま入ったスターバックスには彼らの母親と思われる2人組がお茶をしていて、人を一人二十歳まで育てあげるその強さに、まだ母親1年生の私は恐縮する。
私は今から10年前の春に二十歳になった。私の地元は8月に成人式を行う。大学進学で地元を離れていたので、成人式に合わせて実家に帰省し、振り袖ではなく浴衣を着て、夕方から始まる式典に臨んだ。顔を合わせるのは中学卒業以来という子が多くて、久しぶりの再会を楽しんだ。
それから数日後、私はネパールへ行くために成田空港に向かっていた。高校時代の友人からネパールに学校を建てるボランティアに誘われて、軽い気持ちで参加を決めたのだ。
その夏から今日までの日々は、たくさんの変化がありつつも、確かに繋がっていると思う。
私の二十代は、住んだ土地、働き方、考え方、家族構成、等々いろいろなことが変わった。
ほぼ2年おきに引越しして、職も次々に変え、決められた道筋からは自分から逸れるようになり、結婚して出産した。いつもいったりきたり、笑ったり悩んだり、忙しかった。
私は実際にやってみないといられない性格らしい。いろんなものに手を出して、好きなこと、嫌なことが実感をもって分かった。
今生活しているのは、高校3年間通学した土地だ。高校卒業のときには、ここには同級生と遊ぶことでしか来ることはないだろう、と考えていたから、その考え以上のことがこの身に起きていて驚く。実家にも近くなり、よく行っているのだけれど、私の街に帰ってくる際には長い坂を下る。そこを通る度に、ああ帰ってきたなと思う自分にまた驚く。
どんな場所も住めば自分の居場所になる。
21歳のときに東日本大震災が起こった。あの震災がなければ、私はいまここにいないと思う。直接の被害者ではないけれど、二十代の私の頭の中の大部分を占めて、それは今も変わらない。
今年また新しい10年が始まる。いったいどんな10年間になるだろう。そういえば二十歳の頃、どんな生活を想像していたかな。
実際の生活は想像を軽く超えてくる。でも考えておくことは悪くない。目の前のことでいっぱいいっぱいの毎日に、想像する時間を少し加えてみよう。