とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

「生活長者」について考えたこと。

2016/12/06


生活長者」という言葉を知った。先月30日にいわきのアリオスに行って「マナビバ。」という公開講座を聞いてきた。そこで出た言葉だ。ゲストの1人だった鈴木一郎太さんが提唱しているもので、定義としては以下のようになる。

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なるほど。私たちの生活そのものなのである。こう定義されると、無理なくやっていけそうな感じもするけれど、結局「生活長者」はそれなりに疲れる。でも、基本は好きでやっていることだし、それも自分の中では織り込み済み。⑤なんかは特に「そうだな〜」と思って聞いていた。②はたまに崩れるので気をつけないといけない(笑)

こういう人が身の回りにたくさんいるのだけれど、不思議と会社に行くとなかなかわかってもらえないこともある。環境が違っているから仕方ないのかもしれないが「今度の週末は芸術祭のイベントがあるんです」と説明しても、「ボランティアやってんの。すごいねえ」というような反応。ちょっと違うんだよなあ、と思いながら、私も「まあ、そんなところです」なんて言って、そのまんま。仕事ではない活動を、個人がすることの意味みたいなものは、なかなか説明しづらいし、理解もされづらいと感じる。

まあ、わかってもらおうと思っていないけど、聞かれたらちゃんと応える努力はしておいた方がいい。「生活長者」という言葉だけでは、相手の「???」が増えそうだけど、こういうふうに整理されれば、何となくお話ができるような気もする。と、ここまで書いて気がついた。そうだ、自分の中でも整理できてなかったのか、と。(笑)

鈴木一郎太さん、ありがとうございます。

そんな感じで。

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