とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

酔っぱらいの夜


今日も気持ちよくお酒を飲んだ。
それだけで幸せだなと思う。
酔っぱらった勢いで書きたくなった。
後から読み返すときっと恥ずかしいのだろうけれど。
昨日と一昨日は満足感のある二日間だった。
二日間予定をいれずに過ごしたのは何時ぶりだろうか。

いろいろな人と時間を共有するのは大好きなのだけれど、
ここ最近はちょっと息切れ状態だった。
スケジュール帳にどんどん入ってくる予定をたどることに必死で
それぞれの出来事を自分の中に落とし込む余裕がほぼなかった。

だからこれまでを振り返り、これからを考える時間をつくった。
土曜日はいわき市鹿島にあるスターバックスでとまり木会議を開催。
savamisoにも書いてあるけれど、計画は計画なのだ。
立てたところでその通りになるかどうかは分からないし、その通りにならないことのほうが多い。
でもそのくらいのものだから、気負わずに自分勝手に立てられるのだと思う。
ざわざわとした店内の物音にまぎれながら、ふたりで思う存分話した。
そういえば最近、以前に比べてお互いのことを分かろうとしている気がする。
頑固者のふたりがうまくやっていくにはいろいろあるけれど、
たくさんの夢と理想を語り合える人ができたことは本当に嬉しい。

日曜はギャラリー創芸工房で行われていた「遊牧民の手仕事・暮らしの中のキリムと布」展へ。
陶芸の先生にフライヤーをいただき、これは行かなくては!と思った。
ギャラリーの扉を開けたらそこには圧倒的な力。
それだけで、あぁ来れてよかったなと感じた。

私たちは今とても多くのものに囲まれているけれど、それらはあの布には到底かなわないのだ。
家畜の羊から毛を刈り取り、糸をつむいで染色し、地面に機織り用の杭をうち、
縦糸に横糸を絡ませながら文様を織り上げていく。
長い歴史とともに生まれた色と文様。
目の前にあるのは1枚の布なのに、その後ろには私が想像できないくらいの人の姿があるのだろうと思う。
遊牧民の人々はものを持たない、というか持てない。移動し続けるから。
どこからくるのだろう、その作ろうという動機は。

蒐集家の榊龍昭さんや、偶然やってきた陶芸の先生(野口孝寛さん)のお話も
楽しくて楽しくてずっと聞いていたかった。
出会ったことのない人々にこんなに心が寄せられるのは久しぶりだった。
また手にいれたいものができた。

こんな土日だったからだいぶ気持ちが高ぶっている。
この気持ちの動きを日常のなかで消さないようにだけ気を付けようと思う。

それではおやすみなさい。

-megum
-