とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

savamiso

寝込んでいる間に考えたこと


よくわからない高熱にかかって、2週間ほど倒れていた。前の冬も入院していたから、ここのところ毎シーズン倒れている。前のときも、同じように自分も見つめなおして、改めるべきは改めようと思っていたから、結果的にそれができていなかったことにもなる。

この2年で大きく変わったことといえば、住む場所と仕事と家族が増えたことくらいだとおもっていたのだけれど、それが意外と大きなことだったみたいだ。息子は相変わらずすくすく成長している。彼のスピードに僕が置いて行かれそうになる。「パパ、まだそこにいるの?」「もう僕、そんなに小さくないよ」

住む場所はいわきから福島に移った。冬も暖かく海のあったいわきから、夏は暑く冬は寒い吾妻山のある福島へ。故郷の青森との距離はだいぶ近くなった。より東北を感じやすくなった気もする。

仕事も変わった。ひるの仕事を何となくこなして、夜や休日に自分の半径50センチくらいの距離のものを考えて書くような仕事だったけれど、いまは県内、国内の理不尽や不条理を主な相手に戦うような毎日である。発表の媒体も自分でどうにでもできるものから、市民からお借りしている電波を使うものになった。どうしてこうも極端なのだろう。なぜ僕はこの世界に戻ったのだろうと、寝込んでいるあいだに考えてしまった。

「好きでやってんでしょ」って言われれば、その通りなのだし、別に理不尽や不条理と戦わない道だってある。楽しくやればいい。そうだ、その通りだ。とある人にも同じことを言われた。「そんなことばっかり考えてたら体壊すよ」そう、そして体を壊した。

でも、それでいいのだろうか。やりすぎたのかもしれないとは思うけど、やらない方がよかったとは思わない。しかし、やり方は変えた方がいいかもしれない。本当に大切なことをしっかりやるようにする。考えない時間も必要。前回もそう学んだはずだった。そのうえで、言う。

見ない、言わない、聞かない。これでは世の中良くならない。

そんなこと気にしないで、自分の身の回りのことを考えたら?という人もいるかもしれないが、少なくとも自分の身の回りだけ幸せという状態は、僕の中ではありえない。世の中がよくならない限り、個人の幸せはやって来ない。僕はやっぱりそこに立つ。

小さな目標を立てた。目標なんて言うと、また自分を追い込むことになるから、道標くらいにしておこうか。寝込んでいる間に考えた道標は、2つくらいだった気もするし、10くらいあった気もする。それはここには書かない。

最後に、病気のあいだ、いろいろと心を砕いてくれた妻と、元気に明るく過ごした息子に感謝して。とりとめもない文章。でもすごく書きたくなって書いた文章。自分の気持ちの、半分も書けていない気もするけれど。

そんな感じで。

-savamiso
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