とまり木

時には枝のように、時には鳥のように

megum

今日という日


なんだかよくわからないけれど、私の3月11日は1年おきに印象深い。

2012年の3月11日、宇都宮市で引っ越し作業の最中14:46を迎えた。設置したばかりのテレビでは震災特集をやっていて、ガス屋さんがガスの開通作業中だった。46分の時報のときは多分契約書にサインをしていたと思う。諸々の手続きが終わって、ガス屋さんが帰ってから目を閉じた。

2014年の3月11日、港区の職場で14:46を迎えた。その前後と全く変わらない時間が過ぎていった。私は一人自席で目を閉じた。ここでの3月11日は365日のうちの一日、他の364日と同じ日なんだな、とショックというか、諦めのような気持ちになったことを覚えている。

2016年の3月11日、広野町のある方のお宅の庭で14:46を迎えた。前年から生活支援相談員として高齢の方々のお宅を訪問をしていて、この日も上司とともに伺って体調を気遣いつつ世間話をしていた。雪が舞うなか、防災無線からのサイレンに合わせ3人で海の方向に向かって目を閉じた。

そして今日2018年3月11日は、福島市の自宅で息子とともに14:46を迎えた。うちではテレビを見ないので今日は一日ラジオ福島を聞いていた。式典の中継に合わせて黙祷するつもりだったが、その直前で息子が泣き出し抱き上げた。胸に抱き寄せ目を閉じた。私が目を閉じている間、不思議と泣かなかった。

7年間いろいろな今日の過ごし方をしてきた。これからもそうだろう。今日だからといって何か特別なことをする訳ではない。私は目を閉じて、想いをはせる。

息子は東日本大震災のことを知らないのだなと、はっとした。
これからも当分は福島にいることになるだろうから、彼にここにいる理由を話すときがくる。
2011年3月11日からこれまで世の中で起こったこと。それに対し私と夫が考えてきたこと、行動してきたこと。そして、震災がなければおそらくここにいなかったこと。
彼は何を思うかな。
福島に生まれたから何かしなくちゃ、とか、復興を担う、とかは無理に考えなくていい。でも想像はしてほしいな。
その瞬間に普通の生活を送っていた人のこと。今もそこで生活している人のこと。被害にあった土地のこと。

想像したらその内容を一緒に話そう。たくさん話そう。
話すことはいつでもできる。何も今日に限ってすることじゃない。

-megum
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